8月27日「パレスチナの人々を想う」を開催しました。

8月27日に「9条の会・熊谷」との共催で、『「パレスチナの人々を想う」~フルートの演奏とガザの報告~』というイベントを開催しました。72名の方々にご参加いただきました。

フルート:佐藤加奈世さん、ギター伴奏:茂木伸夫さん

最初の30分ほど、フルートの演奏を楽しんだ後、長年ガザの支援をしてきた熊谷市出身の金子由佳さんの報告です。

報告する金子さん

金子さんは2011年にパレスチナに遊びにいき、占領の現状を目の当りにしてショックを受けパレスチナ問題にかかわるようになったそうです。金子さんによると「パレスチナ問題は宗教問題ではなく、政治的な問題だということを覚えておいてほしい。パレスチナ人にはムスリムもいればクリスチャンやユダヤ教徒もいて一つの宗教ではない。」とのことです。

簡単にパレスチナ問題の歴史を振り返り、国連の支援の状況の説明がありました。現状のパレスチナを取り囲んでいる分離壁の問題や、パレスチナ人の家が破壊される一方で、イスラエルの家が建てられている問題、無抵抗のパレスチナ人が殺害された事件などの話がありました。

ガザについては、イスラエルにより封鎖されており、経済活動の自由がほぼ認められていないとのこと。安定して食料を得ている人が全体の3分の1ぐらいの人しかいない状況や環境汚染の問題、医療機関やシェルターが攻撃され、家もなく、浄水場が動いていない状況についても話がありました。

2014年には、パレスチナ側死者2,251人、イスラエル側死者73人があり、イスラエルの死者のほとんどが兵士で地上戦によって亡くなっています。金子さんは「空爆すれば済むところを地上戦をしているのは憎しみを募らせるためではないかと考えている。」とのことです。

こうした中で、金子さんがいたJVCでは、子どもの栄養改善事業を行っており、地域から選抜したボランティアを栄養士に育て上げて、その人たちを地域に派遣することにより、子どもの栄養状態も改善されているし、地域の人たちの自信にもつながっているとのことでした。

JVCは、東エルサレムで子どもの支援事業をやっており、学校に出向いて子どもたちに保健を伝える仕組みを作ると同時に自分たちの居場所を確かめ、暴力に訴えない抵抗の姿勢を学校を基盤にして生徒たちが学んでいくことを目指しているとのことです。

ダニーさん

金子さんの友人のダニーさんにも一言いただきました。

「私はイスラエル生まれイスラエル育ち。イスラエルは徴兵制があり18歳になったとき入隊して戦闘機のパイロットを目指していた。私の当時の友達は全員パイロットになったので、私と1年以上一緒にいた人たちはまさにガザに爆弾を落としている人たちです。」

「2012年当時のイスラエル空軍のトップは私の隣の部屋だった。よく知っている人で本当にいい人。ガザに爆弾落としている人をここに連れてくればみんなびっくりしちゃう。悪魔でも鬼でもなんでもない。そこが戦争の一番怖いところ。普通の人間が鬼になります。70年前日本人は同じことを中国でやっていた。なぜそういうことができるかというと、そういう教育の中で育ったから。私もそういう教育の中で育って疑問もなく入隊して疑問もなく必要に応じて国のため死ぬという気持ちだった。」

「今の日本を考えると北朝鮮が危ない、もうそういう教育が始まっています。次に戦争になった時、始まったらここにいる人たちの子どもが疑問もなく北朝鮮人を殺します。戦争とはこういうものです。戦争で鬼にならないようにするには戦争を避けること。戦争になったら誰ひとり大丈夫な人はいない。」

「北朝鮮と話し合いをしなくちゃいけないというところを何1つ見せない。軍事的に解決しようということ。まさに私が生まれ育った時に受けた教育が今日本で始まっています。」

<質疑応答>

(質問)ユダヤ人は、自分たちが被害者であったということと、今度は加害者になっているということについて矛盾は感じていないのか。

(金子さん)彼らにとってみるとまだ被害者なんですよ。俺たちはホロコーストですごく苦しんできたんだと。ようやく国を作ったけど、周りには嫌われ者が続いている。パレスチナ人は目さえ合えば殺しにかかってくる恐ろしい人たちだいう認識があって。やられる前にやるんだという発想です。だから彼らの根本にはまだ恐怖とか被害者であるという認識がメインに流れている。

(ダニーさん)第1次中東戦争、ホロコーストの3年後、イスラエルは、418のパレスチナ人の村々を破壊して、子どもも年寄りも殺しています。人間は。3年で人間は簡単に被害者から加害者になれます。

(会場から)サバイバーの人たちから聞いた話では、自分たちがあの時にあんなにつらい目に合ったのは、当時のユダヤ人は自分の国を持っていなかったからだと。あなたたち日本人は日本の国に守られているから安心してどの国に行っても生きているだろう。自分たちはあの頃国がないから守ってもらえなかったんだ。だからあんなに何百万もの人たちが死んだんだと。今得たこの国を手放すわけにはいかないって言われたんです。

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